G@KIRA.NET×机上向学

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Books [ 2011年 新聞・テレビ消滅 -佐々木俊尚-]

続けて佐々木俊尚さんの本。タイトルは衝撃的だけど実は皆が無意識に感じ取ってることを言葉にしてくれたのかなと思う。
それは「そういえば最近テレビ見ないよね」とか「今朝の新聞に昨日ネットで見たことが書いてあったよ」とかそういうこと。
情報は生ものであるという言い方があるけれど、それをいわせれば伝搬するスピードに関して現在ネットにかなうものはいない。
とくにSNSの最たるもの、Twitter上の伝達速度は下手な地震速報よりも速いことを昨晩の地震のときに思ったし、最近はTwitter上であがった話題を検索している自分に気がつくこともしばしば。

本書の中で紹介されている「コンテンツ」「コンテナ」「コンベヤ」という考え方(GOOGLEの及川さんという方が説明されているそうだ。非常にわかりやすい)の中では、コンテンツですら新聞(社)やテレビ(局)である必要はなくなってきている。良質の情報を発信する個人のWebサイトがあり、あるいはPODCASTYoutubeで気の利いた映像を流すミニ放送局(ミニFM局みたいなものか)が今後もっともっと出てくれば、どのチャンネルを見ても吉本芸人やジャニーズしか出ていないテレビ番組や大同小異のニュースソースで書かれている3面記事よりもよっぽど質のいいものを得ることが出来そう。

この本を読んでいて「マス」がだめならだめでどうしたら生き残れるかを部外者ながら結構まじめに考えてみた。考えていたところで唐突に飛び込んできたニュース(これもTwitterから、WAO!)がこれだ。

http://sankei.jp.msn.com/economy/business/090806/biz0908061806013-n1.htm

たぶん有料化は生き残る手段ではない、ということも良く本書に書かれている。あたりまえだ。インターネットから得られる情報量に対する対価はゼロに等しい。自分の商売のことを考えると適切な情報をまとめて提供するという行為については相応の対価はあっていいと思うのだが(コンサルみたいなことをやっているから)、現在の新聞をWeb上で有料で見るかといえば答えは「NO」。

誰かのコメントで「終わりの始まり」と言っていたのを思い出した。

放送局が軒並み赤字決算となった今年。これを金融不況の影響ではなく「構造不況だ」と一蹴。業界のことは良くしらなけれど実際にものを作るところにお金が落ちてこないのは普通におかしいことでしょう。
やる気を損なうようなことを続ければ業界全体が負のサイクルに陥ることは当然だろうし、そこへ来てテレビでしか見られないものに価値を見いだす人がいなくなれば凋落するのは当たり前かと。
自分のところには一回も来たことがない視聴率調査をもとに決められるCM料なんかもHDRの普及で無意味になっていることに気がつきながらも次の手が打てないでいるのは新聞と同じ。

この本を読んでいて、しばらく前に読んだ「明日の広告〜変化した消費者とコミュニケーションする方法〜 -佐藤尚之-」(アスキー新書)を思い出した。これはどっちかというとまじめにどうする、どうやって消費者とマスが向き合うかが書かれている本だとそう解釈している。根底にあるのはやっぱり変化しないマス広告に危惧している作者の思考が見える。

いずれにしても変わらなきゃ。

でもこうも思う。

情報の支配者のようなテレビや新聞を作っている人たちにとっては不本意だろうが、テレビや新聞は「OFF」なのだと思う。パソコンやiPhoneのディスプレイを見ながら能動的に情報を収集している姿を「ON」とするならば。

朝起き抜けに、床に新聞を広げてコーヒーをすすりながら見るともなしに見る。つきっぱなしのテレビから流れてくる映像と音声を聞くともなしに聞く。目に飛び込んでくる普段自分には興味のない情報もなんとなく記憶の片隅に残って、ふとある日「ああ、そういえばどっかで見た」程度に思い出す。

そういうメディアがあっていい。あってもいいけどやっぱり本気が見たい。相手が本気ならば答えてくれる人たちも多いだろう、と思う。